スワンボートを漕ぎながら

元文学部生のぼやきです

『ここは退屈迎えに来て』 退屈から逃れるための消費と断捨離

山内マリコ著『ここは退屈迎えに来て』を読みました。数年前に刊行された本書ですが、おそらく数十年後になっても読み継がれ、話題に上る作品だと思います。

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

以下は若干ネタバレを含んだ感想文となっています。

地方都市のリアル

まず私が本書を手に取ったのは、本書の内容が「他人ごとではなかった」からなんですね。私は関東の大学に通っていますが、それまで地方都市で暮らしていました。高層ビルの代わりに巨大なショッピングモール、家具と言えばニトリ、家電と言えばヤマダ電機

高校を卒業した若者たちも次々に都会の大学へと進学し、残された街には閉塞感が漂っています。観光地はなんとか一つあるけれど、それだけが内と外を繋いでいるという、非常に危うい状況。
そこには田舎が持つ郷愁感も無ければ、都会が持つ華やかさもありません。「地方都市=田舎と都会のほど良いバランスに位置する場所」というのは幻想で、実際は両者のデメリットを合わせたような場所なんですね。

では、地方都市に暮らす人々の娯楽とは何でしょうか?
よく都会の人は「暇だから子作りばっかりしてるんだろ」と言いますが、半分正解です。街の中心部へ行くと多くのラブホが建ち並んでいますし、実際楽しみと言えば、小さな空間における恋愛関係がメインです。

本書ではそのような「地方都市のリアル」が巧く描かれています。処女を捨てることを目標にする女子もいれば、援交に生きがいを見出す女子もいる。さらには、好きでもない異性の友人との肉体関係を惰性的に続けてしまう女性など。それは性に関することだけではありません。東京やアメリカに憧れを抱いたり、学校内の人気者に嫉妬したりと忙しいです。これらの描写は地方都市に暮らす、もしくは暮らしていた女子にとって、非常に苦々しくも甘いものなんですよね。

地方都市を扱った小説として、桜庭一樹さんの『少女七竈と七人の可哀そうな大人』もあります。

この物語には、閉鎖的な街の中で美しく生まれてしまった少年少女の苦悩(なんて贅沢な!)が描かれています。『ここは退屈~』で描かれている非リアの苦悩とは対照的ですね。

「退屈」から逃れるための「消費」

では、地方都市で暮らす人々だけが「退屈」しているのかと言うと、もちろん違います。都会で暮らす私たちも退屈していますし、場合によっては私たちの方が退屈に苦しめられていると言えます。

ここで「退屈」という言葉を考えてみたいのですが、退屈に似た言葉に「暇」がありますよね。
暇というのは、あくまで客観的なものです。例えば、次の予定までの自由な時間であったり。
一方の退屈とは、主観的なものです。何かしたいけど出来ない感情。
ですので順序としては「暇→退屈」になります。
「暇」と「退屈」を扱った書物としては、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学が読みやすいですし面白いです。

一度『暇と退屈~』についての記事を書きたいと思っています。

國分さんの本の内容から考えると「地方都市での退屈」と「都会での退屈」は似ているようで異なるもの、と捉えることができます。
地方都市での退屈は、やりたいことが出来ない環境にあることに起因します。
一方の都会での退屈は、やりたいことが「ほとんど」出来るけど満たされない空虚さ、つまり一段階上の退屈です。
さらに進むと人生に対して熱量を生み出せない空虚状態に陥ると國分さん(ハイデガー)は言うのですが、それは置いておきます。

もちろん、地方都市に暮らしていても、ある程度はやりたいことが出来ます。しかし都会には、十分すぎるほどに、退屈から逃れる手段が存在している。都会にはコンテンツやエンターテインメントで溢れていますよね。これらは私たちにとって、退屈からの逃げ道として必要ですし、社会もそれを知っています。ですので絶えず生産され、私たちは消費し続けるわけです。
そして、私たちの欲望(欲求とは異なる)感覚が麻痺したところで登場したのが「持たない暮らし」だと、私は考えています。

★★★

最近やたらと「ミニマリスト」が流行っていますが、この現象は地方都市でも流行るのでしょうか?
おそらく流行らないでしょう。なぜなら、地方都市の人々は物に飢え続けているから。でもそれは物が少ないからではなく、人々の欲望が尽きないからなんですね。これは、都会に住む私たちと同じです。ただ求める物が違うだけで、求める姿勢は同じ。
実際、地方都市の家庭には多くの物があります。それは『ここは退屈~』でも描写されています。

 脈絡なく選ばれたモノが溢れ返り、家はカオスそのもの。七十年代から買い換えられていない重苦しい家具と、ニトリで買ったプラスチック製収納グッズのシュールな共存。母も祖母もダイソーのとりこで、百均の便利商品がものすごい勢いで茶の間に増殖していた。『ここは退屈迎えに来て』179頁

もしもこの家にミニマリストの方が行ったらどう思うでしょうか?「無駄なモノ多すぎ!断捨離しなきゃ!」と余計なお世話を焼くのでしょうか。
私は「持たない暮らし」に少しだけ危機感を抱いています*1。消費活動の低迷によって経済がマズい方向に行くのでは、みたいな事を文学部ながら考えています。また、レンタルサービスも便利ですが、街の店舗はどうなるのでしょうか。
現時点では私の知識不足のため、結論を出すことは難しいですが、一度ミニマリストの将来性について考えたいと思います。

★★★

話が脇道に逸れてしまいましたが、最後に、『ここは退屈迎えに来て』の感想を少し書いて終わります。

私は8つ目の「十六歳はセックスの齢」が好きですね。薫ちゃんが椎名くんに抱く幻想は、おそらく全ての非リアの女子が抱いていたのではないでしょうか?後ろから見ているだけでいい、なぜなら彼は永遠の王子様だから。そのような妄想を抱いている限り、おそらく全国の女子は「女子」で居続けるのだと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

*1:しかし同時に可能性も感じています。現代は物を生産消費しすぎました。それらからの脱却は当然望まれるだろうし、また予測されていたとも思います。