スワンボートを漕ぎながら

元文学部生のぼやきです

慌ただしくも平凡な毎日

いつの間にか、今年が始まって200日が経過していました。
正確な経過日数は面倒なので数えていませんが、大体200日。

「今年こそは毎日を有意義に過ごす!」なんて意気込んで新年を迎えたはずが、振り返ってみると平凡な毎日。
大学3~4年で時間は有り余っていたはずなのに、たいして記憶に残っていない。

ここで当時の日記を読み返してみると、毎日色々な事を考えていたことがわかります。
でも、単位を日から週に変えてみると、毎週同じことで悩んでいる。

例えば、土曜日の日記に「来週は毎日読書をする!」と書いてあります。
そして一週間後の日記を読むと「手元に本を常備しておく!」の一文。


なるほど、何も成長していませんね。

週・月単位で振り返ってみると見えてくる事実

今日と明日では、決意も思考も変化しています。

しかし、今週と来週、さらには今月と来月で見ると、ほぼ同じことで悩んでいたり、決意を改めた気になっていたりと、全く成長していないことが浮き彫りになるんですね。

毎日色々な事を考えて、慌ただしく過ごした気になっている。
でも実際は、堂々巡りをしていただけで、後になって平凡な毎日だったと気づく。

視方を変えれば、堂々巡りをしている中で「蝉の鳴き声を聴いて季節の変わり目に気付いた」だとか「自分と同じように毎日参拝をしている人の存在に気付いた」だとか(私が僧侶だったとしてですよ)、そのような「平凡な毎日の中の発見」を重視することもできるでしょう。

でもそれらは、私にとっては些細な発見にすぎません。
振り返ってみたときに「何も変わっていない」「平凡な毎日だったなぁ」という実感こそ、着目しなければいけない問題だと思っています。


この問題は非常に厄介です。
その日は好きな事をして過ごして満足したとしても、長期的に見ると平凡な生活なわけですから、どう過ごしていいのか途方に暮れてしまう。

では、後から振り返ったときに「楽しかった!」「充実していた!」と思える一日とは、具体的にどのようにして過ごした一日だったのか?

★★★

それは皮肉な事に、苦痛を伴ったイベント(アルバイトや友人との交流、講義の課題)をして過ごした一日です。

当時の日記を読み返すと「他の仕事を探そう」「精神的に疲れた」「読書よりも映画が観たい」など、否定的な言葉が並んでいました。
一見すると、ダメな自分を再確認するだけのように感じます。

でも、私が成長を実感できるのは、これらの苦痛を伴った経験によってなんですね。これは多くの偉人が後世に伝えてきた教訓ですし、私たちもその事実は経験的に知ってはいます。


ただ、同時に「毎日好きなことをして生きていきたい」と願っており、最近ではその生活を奨励する風潮がある。
私も毎日「楽しく過ごしたい」と思っています。同時に「成長したい」とも思っている。

両者を重視しつつ過ごすには、どうすればいいのでしょうか?

★★★

現時点での私の解決策は「苦痛を味わうこと自体を楽しむ」なんですが、この域まで達するのに苦労しそうですね。人間は誰しもマゾらしいので、工夫次第では可能なのかもしれませんが。

SとM (幻冬舎新書)

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鹿島茂さんの著作はどれも多角的な視点で書かれており面白いです。)

今回の問題は一旦置いておきます。
他の人のブログとか本を参考にしつつ、再度暇なときに考えてみます。

とりあえず、深夜に記事を書くべきでないことは学びました。いつも以上にまとまりの無い文章となってしまいましたが、思い立ったので公開しときます。

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