スワンボートを漕ぎながら

元文学部生のぼやきです

『ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし展』に行ってきた

フィンランドの女性画家「ヘレン・シャルフベック」の展覧会に行ってきました。
現在、東京藝術大学大学美術館にて開催中です(7/26まで)

f:id:matlune:20150725020820j:plain

フィンランドの女性画家と言えば、「ムーミン」の作者トーベ・ヤンソンが有名ですが、フィンランド国内ではヤンソンよりもシャルフベックの方が人気があるみたいです。

今回はシャルフベックという一人の女性の生涯を紹介したいと思います。

シャルフベックの生涯

シャルフベックの作品は、非常に内省的で、彼女自身の苦悩や葛藤といった心情が強く投影されています。また彼女の作品を制作年毎に観ていくと、彼女の生涯が波乱万丈であったことがわかります。

彼女は3歳の頃に階段から転落し、それ以来、松葉杖の生活を余儀なくされます。活発に動き回ることが楽しくて仕方ないはずの幼少期に、彼女は学校に通うことすら出来なかった。絵を描くことだけを考慮すれば、さして支障はないでしょう。ですが、絵を描くことの本質となる日常生活での「経験」を得ることにおいて、幼少期の事故は彼女の創作に大きな影響を及ぼしたと考えられます。

★★★

そしてパリ留学を経て誕生したのが『快復期』(記事冒頭の画像下の絵)です。

風邪でも引いていたのか、寝癖のついたぼさぼさ頭の女の子が病床から抜け出して来て、テーブルの上の植物を見つめています。女の子の可愛らしさに、自然と笑みがこぼれてしまうような作品ですよね。

完全に病気が快復した訳でもなく、また苦しめられている訳でもない「快復期」。それは、具体的に「いつなのか」と区別することは難しくて、あくまで「感覚的」に捉えることのできる時期です。シャルフベックはそんな一瞬を、絵画として魅力的に表象しています。

しかし、この絵を描いた時のシャルフベックは大きな苦悩を抱えていたんですね。彼女はパリ留学中にイギリス人画家と恋に落ちます。二人は婚約をするのですが、急に相手から婚約を破棄されてしまう。そこで彼女は非常に大きなショックを受けます。今まで他者と関わってくることが少なかった彼女ですから、自信喪失にも繋がったでしょう。

それから彼女は、少しずつ失恋から立ち直り始めます。そのころ誕生したのが『快復期』という作品なんですね。病床から飛び出してテーブルの前に座っている女の子は、まさにシャルフベック自身です。

★★★

留学後、シャルフベックは素描学校の教師となりますが、病弱で休職せざるを得なくなり小さな田舎町で暮らし始めます。彼女は15年間、その町から出なかったと言います。その間に彼女の作風は急激に変化していきます。

シャルフベックは晩年期、多くの人物画や自画像を残しました。それらは抽象的で、一見するとシンプルな作品なのですが、同時に複雑でもあります。

例えば『断片』という作品。
血色の悪い顔をした少女が目を瞑り、下を向いています。彼女が着ている服、絵の背景はともに平面的に描かれており、色彩も乏しく非常にシンプルです。しかし絵は全体的に暗く、どこか「死」をイメージさせます。
では、この時期におけるシャルフベックの心情は、どういったものだったのか?

彼女は当時、年下画家・ロイターとの恋、さらには失恋を経験していました。またも、好意を抱いた男性が別の女性と婚約をしてしまうんです。シャルフベックは非常に辛かったと思います。「一人の女として幸せに暮らせないのか?」そういった彼女の苦悩を当時の自画像から感じます。
しかし、ロイターとの仲は「友情」として続くんですね。彼から送られてきた美術図書の中のエル・グレコに影響を受けるなど、お互い「画家」として、交流は続けられていました。

もしも完全に彼との関係が絶たれてしまっていたら、彼女は創作意欲を失っていたでしょう。晩年期に今まで描くことの少なかった静物画を残したのも、ロイターの影響かも知れませんね。

「展覧会」は一つの解釈にすぎない

私はシャルフベックの作品を観た後、彼女の生涯に心打たれ泣きそうになりました。「なんて苦悩に満ちた生涯なんだ、私だったら耐えられない」と。ですが、鑑賞後一日経って「この感動はもしかしたら『展覧会が作ったストーリー』によるものではないか?」と疑問に思ったんですね。diamond.jp

展覧会では、シャルフベックの生涯をいくつかの時期に区別し、物語のように紹介しています。それは絵の横にキャプションとして飾られていたり、別会場で映像を流して補完されていたり。他の展覧会も、大体はこのような感じで開かれていますよね。

多くの鑑賞者は、それらの説明を読んで作品と向かい合うと思います。ですがもし、それらの事前情報がなかったら? 作品を観たときに「自分で」作品の良さを見つけ、解釈することはできるのでしょうか。

シャルフベックの作品は非常に魅力的で素晴らしいです。彼女の作品を通して、苦悩や葛藤、一縷の光、彼女の繊細さといったものが伝わってきます。ただここで「展覧会の構成が先にあって作品はその次」という鑑賞をしている人があまりに多いのではないか、と思ったんですね。それは私自身も含めて。

展覧会の説明は、作品を解釈する上での手助けにすぎませんし、言ってしまえばそれ自体も一つの解釈です。「展覧会」と括ってしまい一つの解釈に限定することで、私たちは楽に作品を鑑賞することができますが、それで果たして真摯に、純粋に作品と向かい合っていると言えるのでしょうか。
これは、私自身の鑑賞姿勢に対する自己批判でもあります。

反解釈 (ちくま学芸文庫)

反解釈 (ちくま学芸文庫)

事前情報なしに、ただ純粋に作品と向かい合ってみる。これは非常に難しいです。今後、作品を感じる力を鍛えていかなくていけないなと反省しました。

関連記事

matlune.hatenablog.com