スワンボートを漕ぎながら

元文学部生のぼやきです

『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』 神の眼を持つ写真家が視ていた「現実」とは

公開を待ち望んでいた、写真家セバスチャン・サルガドのドキュメンタリー映画を観てきました。


『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』予告編 - YouTube

サルガドがなぜ悲惨な現実を撮り続け、2000年以降に自然や動物を撮り始めたのか。
今回の記事はこの映画のテーマである「地球へのラブレター」についてではなく、サルガドの写真を中心に書こうと思っています。

サルガドが視ていた世界を考える

世界的に有名な写真家、セバスチャン・サルガド
なぜ、彼の写真はこれほど多くの人を魅了し、人々に衝撃を与えるのでしょうか。

それは「サルガドの写真が私たちが撮るものと異なるから」と、答えることができたら話は簡単です。では具体的に、彼の写真と私たちの写真とでは何が異なるのか?

異なるものは「被写体」ではありません、それは「写真家の眼」なんですね。

サルガドは「神の眼を持つ写真家」と呼ばれています。「神の眼」なんて大袈裟に聞こえますが、彼が視ている世界と私たちが視ている世界とでは、全く別物だと考えられます。

例えば、私とサルガドが、一匹の大きなカメを視ているとします。
私は「大きな甲羅!乗ってみたい!」と思うでしょう。
一方、サルガドは「彼の顔のシワから推測すると、だいぶ年老いているな。でも彼の眼を視ると、まだ活力が漲っていることがわかる」と、こんな風に考えると思います(あくまで私の想像です、烏滸がましいことを承知で書いています)

私がこのようにサルガドの視点を想像した理由は、彼がガラパゴス諸島のカメを撮影する際に、「生物の生命・歴史」と言ったものに注目していたからなんですね。
「もしかしたら彼(カメ)は昔、ダーウィンに会っていたかもしれない」なんて発言からもわかるように、サルガドは被写体の歴史を視ている。

★★★

それはカメの歴史だけではありません。
トゥアレグ族の盲目の女性、エチオピアやコンゴの難民、飢餓や伝染病で苦しむ人々、炎上する油田など、それら全てに「歴史」がある。
でも、私たちはその「歴史」を知らず、もしくは知っていて尚且つ平然と暮らしています。中には社会によって隠蔽された事実もあるでしょう。

サルガドはその悲惨な事実を一枚の写真に写し、快適な環境に身を置く私たちに「現実」を提示してきます。それはあまりに残酷で、目を背けたくなるような現実です。

目を背けたくなる、それでも直視しなければいけない現実

サルガドは報道写真家として、世界中の悲惨な現状を撮ってきました。
でもそれは、21世紀を迎えると同時に途切れてしまいます。

その理由を本作中で語っていたのですが、彼自身「魂が病んでしまった」のだそうです。
あれだけ悲惨な現場に長居し、多くの死を視たのですから当然だと言えます。
サルガドは現実世界の「悪」に目を向け、ひたすら写真を撮り続けた。
そして彼は私たちに、「人間の狂気、恐ろしさを知らなければいけない」と忠告します。

彼が撮り続けた写真には、目を背けたくなるような生々しい現実が明確に写されています。飢餓や暴力で苦しむ難民、ブラジルで金鉱山を掘り続ける多数の男性など。安全で快適な生活をしている私にとって、それはまるで遠い昔の写真のように思えました。

でもそれは、ほんの数十年前、もっと近くだと十数年前の出来事です。
私たちはサルガドの写真を通して、遠くの、だけど現実の事実を知るわけです。

★★★

サルガドの写真を視て、私たち自身が考えなくてはいけない。
だけれど、その現実はあまりに悲惨で、その悲惨さに精神が参ってしまうかもしれない。

そんなとき、スーザン・ソンタグの言葉が力強く私たちを支えてくれます。

傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。
傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしてください。『良心の領界』序文より

最後に無理やりソンタグの言葉を引用してしまいました、おそらく2回目です。

このまま「社会人」になることに疑問を感じた

今回は、作品の感想について書くことを極力控えました。
作品の副題にもなっている「地球へのラブレター」とはどういうことか、についても書きたかったのですが、これは作品を観れば理解できます。
なので、一度本作品、もしくはサルガドの写真集を観てみることをオススメします。

あれこれと偉そうに書いてしまいましたが、私自信も、サルガドが撮り続けた「現実」と向き合わなければいけないなと強く感じています。

また、本作品を観終わった後に「このまま社会人なって、平然と暮らしていいのかな」と、不安になってしまいました。
この問題は夏休み中にじっくりと考えたいと思います。