スワンボートを漕ぎながら

元文学部生のぼやきです

文学部に来てしまった新入生へ

こんばんは、みずおとです。
先月、関東の某国立大学を卒業しました。僕が所属していたのは文学部(のような学部)なんですが、ここはどうやら数年後に廃止するらしいです。文科省から通達されたらしく、現在教授陣や一部の学生たちが必死で抗議しています。こうした文学部の近況は全国各地の大学で見られるみたいで、さらに言えば、「文系の学問」全体が政府によって消されようとしている。なかなか危機的な状況らしいです。

と、他人事のように書いていますが、僕もこの学部や文系学全般が好きなので、間接的にでも抗議に参加しようかなぁと考えていますが、今は私生活が慌ただしいので、遠くから見守ることにしています。

でも、そんな悠長なことは言ってられなくて、今後ますます文学部の社会的立場は悪くなっていきます。そんな中、今年も多くの「文学部生」が誕生するわけです。

なんでこのご時世に文学部なんか来たの?

彼らはそれぞれ希望を持って、文学部へと進学したのだと思います。将来出版社で働きたい、翻訳家になりたい、哲学者になりたい等々。

ですが、楽しい新生活に胸躍らせている彼らに、

「絶望しろ!」

と言いたい。

いや、この発言と僕がニートであることに関係はありません。若い彼らに嫉妬しているわけでもありません。先ほど書いてように、僕は文学部が大好きですし、そこで一生懸命学んでいる学生も好きです。

でも、芸術とか哲学を「楽しく」学んでいる学生が大嫌いなんです。けっこういますよね、「楽しそうだから」という理由で文学部に来て、テキトーに単位取って早々と就職活動に専念し始める学生が。大学生の人や大学生だった人はわかると思いますが、他の学部でも大半の学生は彼らと大差ないです。そして在学中に碌に勉強もしないで、学士だけもらって卒業していく。これが大学生側の現実です。

無事に卒業できて、就職もできた。
でもそれって、文学部じゃなくてもできたよね?

僕は、先月大学を卒業した同期に向かって聞いてみたい。(そんな勇気ないから聞けないんですけどね)

明るく暗いキャンパスライフを!

話を戻します。なぜ新しく文学部に入ってきた学生たちに「絶望しろ!」と言いたいのか。それには2つ理由がありまして。
まず、冒頭でも書いたように、現在の日本では「文学部」というものの価値がめっちゃ低いという事実を経験的にわかって欲しいからです。むしろマイナスに近い。数十年前に教養主義が没落し、それからというもの文科省の腫物扱いです。社会的に見ても、文学部が直接何かの役に立つなんてことは稀で、どっちかというと反社会的な学問なので、そりゃマイナス評価にもなります。
新しく文学部に入ってきた人たちは、これからたくさんの「アウェイ感」を経験すると思います。それを頑張って受け止めてください。強がって「そんなことない!」と反発しないでください。これが現実ですから。


そしてもう一つ、これは「自己」に対しての絶望です。
なぜそんなことを伝えたいのかというと、文学部が「自己と向き合いやすい場所」だからです。講義では文学者や哲学者などの作品、さらには生涯を学ぶ機会があります。そして彼らの思考を追うことは、自己を見つめ直し形作っていく手助けになります。これは他の学部では考えられない講義です。なぜかというと、「自己の形成なんか社会の中で邪魔だから」です。

キルケゴールは『死に至る病』の中で、こう述べています。

世間の人は、自己というようなもので大騒ぎなどしない
なぜかといって、自己などというものは
世間ではいちばん問題にされないものであり
それをもっていることに気づかされることが、
何よりも危険なことであるようなものだからである

文学部は自己と向き合いやすい場所です。でも、本気で、真剣に向き合おうとしたら、絶望せざるを得ないんです。
その理由は、みなさん自身が大学生活の中で見つけてください。


最後に、途中で「楽しんでる学生が嫌い」と書きましたが、それは「遊び呆けている学生が嫌い」という意味です。学問の取っ掛かりは、やはり「楽しい!」という好奇心だと思うので、最初の1年ぐらいは楽しんで過ごしてください。その後、数か月でも絶望してください。


それでは、明るく暗いキャンパスライフを!

文系学部解体 (角川新書)

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死に至る病 (岩波文庫)

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