スワンボートを漕ぎながら

元文学部生のぼやきです

高校総体バスケ決勝に求めてしまった感動

夕方、NHKで中継されている高校総体男子バスケの決勝戦をたまたま観ていました。
私はバスケットボールというスポーツに詳しくありませんし、ましてや高校総体など自分とは無縁のものだと思っています。

ただなんとなく、テレビを点けたら放送していたので、最後まで観てしまいました。

桜丘高校と明成高校の決勝戦。見始めたのはちょうど中盤、第3クォーターからです。
私はなんとなく「ピンクのユニフォーム着てるし桜丘高校が勝つんじゃないか」と思っていました。

しかし試合を観ていると、明成高校が優勢で、点差が一気に開いていきます。
途中、桜丘高校が点差10点まで詰め寄りましたが、形勢を立て直した明成が勝利しました。

そして、私が違和感を感じたのはその後です。

勝利したはずの明成高校の部員たちが、そんなに喜んでいない。
また、敗者である桜丘高校の部員たちも、あまり悲しんでいない。

私はそのような印象を両者の部員たちから感じたんですね。

★★★

高校野球の試合を観ていると、選手たちは結果に一喜一憂しますよね。
勝者は部員一同集まって高々とグローブを掲げ、敗者は涙を流しながら、甲子園の土を袋に詰める。そんな映像をよくテレビで観ます。
私は彼らの姿を観て「高校生のスポーツは感動的だなぁ」なんて思っていました。

でも、今回観た高校総体の決勝戦は、そのような感動的な場面がなかったように思われます。私はそこに違和感を感じ、どうしてかと気になり調べてみました。

すると、明成高校には圧倒的な力があったことがわかったんですね。
それは明成高校バスケ部主将の「八村塁」選手の存在です。
彼はNBAでの活躍が期待されているほどの選手で、今回の決勝戦でも1人で34得点もしています。

彼の存在があったから、明成高校の部員たちは勝利を予感していた。一方の桜丘高校の部員たちも敗北を覚悟していた。だから、結果に一喜一憂しなかった、そう考えられます。

スポーツ観戦でも求めてしまう「ストーリー性」

ひとまず私が抱いた違和感は解決しました。でも、もう一つだけ疑問が残ります。
それは「どうして私は違和感を感じてしまったのか?」という、私自身への疑問です。

今回の決勝戦の結果を受けて選手たちが一喜一憂していなかった、だから違和感を感じた。
では、選手たちの一喜一憂する姿を観ることができていたらどうでしょうか?

おそらく何も違和感を感じず、むしろ「良い試合だった!」と感動したでしょう。
言ってしまえば、私は今回の決勝戦を観て、何も感動しなかったんですね。

高校総体の決勝戦に対し、無意識に「感動」を求めてしまっていた、これが原因です。

★★★

スポーツ観戦の際に、私たちは「感動」を求めてしまっています。それが顕著に表れるのはオリンピックです。私たちは、まるで私事のように選手たちの一喜一憂を共有し、彼らと同じように感動する。
報道番組もそれは熟知しています。大会の結果や選手を用いて「ストーリー」を作り、そのストーリー性が私たちを感動させる。
同時に、私たちもストーリー性を求めてしまっている。diamond.jp

でも、私たちが求めている「ストーリー性」は、選手にしてみれば邪魔な存在かもしれません。彼らはあくまで結果を求めているわけですから、それに至る過程なんて付加価値でしかありません

それは高校総体に出場している高校生であれば尚更ですよね。高校生のころから観客の眼を意識したプレーをする選手なんて、どこか生意気でもあります。

ですから、私が高校総体バスケの決勝戦に期待した「感動」などは、私の勝手な願望であり、無くて当然のものなんですね。

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